平成22年4月の総合生命科学部の発足時に本学に採用された「初心者」教員の村田。その研究室からの学部・大学院卒業生はまだ総勢20名にも満たない。そんな小所帯の中でも、「明るく元気な」典型的産大ブランドを担う者から、「えっ、居たの?」の目立たない者まで、十人十色の学生・院生諸氏と交流できたことは村田の教員冥利に尽きる。本稿では、彼らの中でも、困難を抱えながらもキラリと光った一人の外国人学生(D君)の奮闘例を紹介してみたい。
D君はタイ出身で、大学院(当時は工学研究科)博士課程の入学生。母国では大学の家畜病院所属の獣医師だが、ふとした“運命のいたずら”で発足間もない村田の研究室にやってきた。その時、村田はこれから何を中心に据えていこうかと思案している最中であった。入ったのは、教員一人だけのまだ実績のない小研究室、そして、自分はたった一人の所属学生、それも博士課程、おまけに外国人・・・、彼にとってずいぶん「過酷な」環境だっただろう。彼が先行きに不安を感じたことは想像に難くない。そこで、村田は彼との間でいくつかの取り決めをした。①使用言語:研究室内の意思疎通は共通言語の「英語」で行おう。No 日本語、No タイ語。でも、英語はあくまでも手段だからね、下手でいいんだからね(これは村田自身の言い訳のため)。②研究課題:ヒントは村田が出すが、テーマは自分で決めて、自由にやってみなさい。その代り、討論は活発にしよう。何でも相談においで(かなり無責任ですな~)。③スケジュール:在学中の全体計画を立て、それを確実に実行して行こう、そしたら、3年間で学位が取れるからね(甘い見通しだったかも・・・)。
今思い返すと、英語を用いた意思疎通は効果的だった。お互いに英語は母語でないので、文法、発音まるで無視、意味不明の単語や表現を連発しても全力で何とか理解しあおうとした。彼の英語力が高かったことも大きなプラス要因だった。成果発表や論文執筆をいずれは英語で行わなければならない自然科学分野の宿命から顧みても、研究室内の公用語を英語にしたのは正解だった(後から分属した日本人の学部学生はさぞかし面食らっただろうな~)。
彼が選んだ研究テーマは、「腎臓内の結石形成に関連する、球状型メラミンシアヌレート結晶の生成」(原題は英語。内容の説明は省略。ご容赦下さい)であったが、そのきっかけはほんの些細な村田の示唆だった。ここで少しその背景を説明する。メラミンという異物が混入した粉ミルクやペットフードが乳児や犬猫の腎臓で結石を生じさせ、死亡あるいは慢性腎臓病を引き起こすという健康被害事件がその数年前に世界的な問題となっていた。村田はこの事件に興味を持ち、いくつかの先行文献をD君に紹介して、この結石の発生機序(メカニズム)を少し探ってみたら?という極めて大雑把なアイデアを提供した。すると、そんないい加減な示唆にも拘らず、彼は間もなく、その結石の原因とされる物質、メラミンシアヌレートに針状と球状の2種類の形があること、高分子物質(例えばタンパク質)がその形成に介在すると結晶が球状になること、また結石は球状で、針状は見当たらないこと、などを次々と見出し、その成果を2つの学術論文に纏めて公表した。村田はその間、後方支援と相談役に徹することに努めた(ま、黒子役ですな)。彼の努力は、やがて3年後に、工学研究科では初の外国人学位取得者という形で結実した。現在、彼は母国の以前の職場で精力的に診療と研究業務をこなしている。
彼の努力と成果は、村田にとっても共有すべき貴重な成功体験である。余り干渉せず、見守っていたことが、本来の教育education、すなわち「その学生の能力を引き出すeduce」役割、を結果的に実践していたのだ、と勝手に納得している(つまり、村田に教員として指導経験が無かったことは「結果良ければ・・・」ですね。しかし、3年間の英語使用は、得難い経験とはいえ、正直疲れましたね)。