京都産業大学同窓会

恩師随想

最近の恩師随想
恩師随想
学部別

顔と名前を覚えなくちゃ

(※2023年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
灘本 昌久 教授
文化学部教授 近現代史、人権、部落問題

 1993年に京都産業大学に奉職してから、30年が過ぎました。もう、あと定年まで残すところ3年半ですが、思い返すといろいろ楽しいことがあり、こうして文章を書いていても、吹き出してしまいそうなことが多かったです。

 私は、共通教育の科目を多く持っているので、年間に担当する学生諸君の数は、かなりの人数にのぼります。特に本学に来て最初の10年ぐらいは、大変なもので、多い時には、通年の科目を3500人ぐらいの学生が受講していて、レポートはダンボールに4、5杯、出席カードも、郵パックの中型ダンボールに一杯になるありさまでした。整理に卒業生をバイトで頼んで、丸1週間もかかるほどで、よく成績がつけられたなと、我ながら感心します。授業は大教室に一杯で、禁煙でなかった時代は、後ろの方の席がタバコの煙でちょっと霞んでいたような気がします。(笑)さすがに、今は人数を制限していていますが、それにしても、なかなか顔と名前を覚えるのが追いつきません。

 ある夏休みに、沖縄にスキューバダイビングに行った帰り、関西国際空港から特急はるかで京都にたどりついて下車したら、遠くからお掃除のバイトをしている若いお嬢さんが息せき切って猛ダッシュで走ってくるので、すわ何事かと思ったら、「灘本先生ですよね!私、京産大の学生です」と声をかけてくれました。「あぁ、そうか。ごめんごめん、顔と名前が覚えられていなくて」。

 逆に、北山あたりのレストランでウエイトレスさんから「灘本先生ですよね」と声をかけられて、「あぁ、京産大の卒業生ですか?」と聞いたら、「今年のゼミ生です(怒)」みたいなこともあり、洛中を徘徊する時は、なかなか緊張します。(汗)

 ここ何年かは、コロナでゼミ合宿もできずじまいですが、それまでは、琵琶湖西岸の松の浦セミナーハウスで、よく合宿をしました。夜の談話の時間には恋バナに花が咲き、笑ったり耳をふさいだり。中味は部外秘です。(笑)さすがに、泊まり込みで生活をともにすると、顔と名前はバッチリ頭にはいるのですが、最近は、他のゼミとの競合が激しく、セミナーハウスの予約ができないことも増えました。

 あちこち講演で呼ばれて地方へ行ったときなど、主催の担当者が本学の卒業生だったりすることもあり、特に人権関係の講演で教育委員会に呼ばれて行き、担当の先生が卒業生だったりすると、「灘本先生の人権の科目をとっておいて、良かったです。とらずに教員になっていたら、大変でした。一通り勉強してあったので、それなりに自信を持って務まっています」といわれて、嬉しかったことがあります。

 ことほどさように、皆さんとすれ違いながら、お見それしていることも多いと思いますが、ご海容のほど、お願いします。京産大スピリットを忘れずに、ご活躍ください。

松の浦セミナーハウスのログハウスで合宿
合宿で琵琶湖畔を散策