京都産業大学理学部に着任したのは38歳の2000年で、2023年現在で在職25年目に入ったところである。『京都産業大学同窓会報』における「恩師随想」の投稿依頼があり、還暦を過ぎて過去を思いふけるよい機会を与えてもらった。研究第一主義の東北大学で9年間の在職の後に赴任してきた当初はまだ若く、教育研究活動のモチベーションを保つことで精一杯であった。現在は万有館に居室が移動したが、その当時は2号館にあり、着任2年後から学科の名称変更で「物理学科」から「物理科学科」となった時期でもある。当時の研究室の特研生は、私の着任した年齢以上に現在なっている。卒業生の皆さんはどのようにしているだろうか?元気にしているだろうか? 今から思えば、「ゆとり教育」以前であって、画一化されていない、何かしてくれそうな元気な学部生がたくさんいたような気がする。
教育論は「厳しく教える」派と「持ち上げて育てる」派の両極端があり、これに対する優位性は議論しても決着しない問題である。これから実社会の激しい変化の中で生き抜いていくためには、自分自身で考えて決断する判断力と総合力が必要で、敢えて「厳しく教える」派で教育してきた。物理学では解答だけを知りたがる学生が多いが、解答を得る過程が重要で、その繰り返しが物理学以外の場面でも自力の判断力を養うと信じていたからである。研究活動はさらに答えがわからない思考の活動である。実社会で生きるとはそのようなものである。学部生にはわかりにくい、幾分情のない厳しい教育と思われがちであるが、40歳前後の年齢を経た卒業生にはわかってもらえると信じている。実際に、学部の特研生で大学院の修士修了の学生から、厳しく教えてもらえたおかげで、今があるという言葉をもらえたことが望外の喜びであった。会社の重役となる立場になると身に染みて実感できたのであろう。しかし、最近のおとなしい画一化された学生は「持ち上げて育てる」派の教育が有効らしいようだ。目の前のことをこなすことで精一杯のようだ。時代の流れのような気がする。
2号館から万有館に移動する前後に、多くの大学院生を指導させてもらった。その修了生と特研生とはLINEで現在も連絡を取ることができる。近況報告の飲み会を定期的に開いていたが、コロナ感染の規制で対面の定期的な交流が途絶えてしまった。この機会に交流を復活させて、学部や大学院生の頃とは違う先生と学生の関係ではない生の意見を聞かせてもらいたい。コロナをどのように生き抜き、どのような活動をしたかなど。できれば、卒業生から新しいモチベーションを与えてもらいたいと願っている。
(もし山上研究室の卒業生で、この京都産業大学同窓会報を見たならば、是非私の大学のメールアドレスyamagami@cc.kyoto-su.ac.jpに一報をお願いする。研究室以外の卒業生も歓迎する。)