京都産業大学同窓会

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ESSの創部者たち

(※2024年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
後藤 富士男 教授
経済学部教授 経済体制論

 同窓会事務局から会報第60号「恩師随想」欄へ執筆の機会をいただいた。ゼミの話は前回書いたので、今回はわたしが実際に体験した本学の課外活動について紹介してみたい。

 わたしは1974年に本学に入学し、学部、修士、博士と一貫して本学で学んだ。学部の4年間は英語研究会(ESS)ジャーナルセクションに所属し、英文雑誌の執筆に励んだ。

 このクラブは1965年の本学創立と同時に創部され、4期生までの先輩たちがすでにディスカッション、ドラマ、スピーチ、オーガン(機関誌)の4セクション体制を構築していた。オーガンはその後、ニュースペーパー、ジャーナルへ引き継がれ、70年代にはディベートセクションが新設された。このように、創部初期から一貫して地味なライティングのセクションを設けていた点にこのクラブの特徴がある。

 その理由を5期生の高田清明氏(ニュースペーパー)は、英語は読み、聞く、話すだけではだめで、書く能力も必要だと先輩たちは考えて、彼らにはESSを英語の総合力を磨く場にしたい、という志があったからだと説明する。高田氏は、そんな初期の先輩たちの高い英語力、人間的魅力、凄さに圧倒されたという。いまも部室に残る設立理念には、創部者たちの思いが「建学の精神」に則って書かれている。また、かくいう高田氏自身も自分たちの英字新聞の原稿を東京の英文毎日に持ち込んで割付・印刷するなど、並外れた行動力を示された方なのである。

 このような歴史をもつ本学ESSは有為の人材を多数輩出してきたが、ここでは二例をあげるにとどめる。まず、13期生と14期生からなるディベートセクション・チームは1985年全日本英語ディベート大会で三位に輝いた。並みいる伝統校を破っての見事な快挙であり、その栄誉は学長表彰をもって称えられた。

 また、わたしと同じ10期生の中島保司氏(スピーチ)は本学法学部から幹部候補生試験を経て陸自に入隊し、のちに市ヶ谷で統合幕僚会議議長通訳兼外国渉外担当、陸上幕僚監部日米関係担当をつとめた。当時知り合いの佐官(海自)から「中島さんの英語(能力の高さ)は市ヶ谷では有名ですよ」と聞いた。

 これらの実績は初期の先輩たちが高い志をもって築いた基礎の上にある。そしてこれは決してESSに限ったことではない。独立五団や体育会・文連所属クラブなど、本学の課外活動全般に共通する歴史なのである。

京都産業大学英語研究会設立理念