京都産業大学同窓会

恩師随想

最近の恩師随想
恩師随想
学部別

かつて所属した学科のことを中心に

(※2024年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
三好 博之 教授
理学部教授 理論計算機科学、圏論、計算の哲学

 1998年に京都産業大学に着任してからもう26年が経ち,当時は若手と言ってよい年齢でしたが,定年も視野に入ってくるようになりました。振り返ってみると私の大学教員としての人生は,私自身の能力の寄与は微々たるもので,本当に運と人に恵まれて来たと常々思っています。ここでは記録も兼ねて,主に私が京都産業大学に着任するに至る経緯と,最初に所属した理学部計算機科学科(コンピュータ科学科)から数理科学科に移るまでについて思い出せることを記しておきたいと思います(つまり文字通りの随想です)。

 私の専門は理論計算機科学や圏論ですが,本学に着任する以前に,日本で最初に大学間を結ぶIPネットワークを構築するWIDEプロジェクトを手伝っているうちに,自然とコンピュータネットワークに詳しくなっていきました。そんなとき,京都産業大学の理学部計算機科学科で,コンピュータの最新の知識を持っており,しかも理学部に相応しい理論研究も行っている人材を求めているということで,着任するに至りました。

 本学に着任したときの学生の第一印象は「おとなしい」ということでした。よく言えば手のかからない,悪く言えば新しいものにトライする積極性にいまひとつ欠けるように感じました。ですので学生の興味の芽を見出して,それを伸ばしてゆくことを心がけていました。当初は,学生に当時のコンピュータ科学の新しい知識を幅広く教えることができれば,と考えていたのですが,授業の範囲ではなかなかそこまで手が回らず,基礎的な部分を身に付けさせるので手いっぱいでした。なんとか自分の特別研究で,学生の希望に合わせて内容を変えたりすることで対応するべく,様々な試行錯誤を繰り返していました。また当時は,学生が大学で夜遅くまで作業を行うことは基本的に認められていませんでした。そのため,なんとか教員が付き添っていれば作業してよいという言質をとって,私も遅くまで残るということもしばしばありました。卒業研究の時期は泊まり込みで作業したいという学生に付き合ったりしたこともありました。このように学生の活発な研究を喚起できたことから,モチベーションを上げるということについては比較的うまくいっていたのではと思います。

 そのようなときに,理学部の計算機科学科改めコンピュータ科学科と工学部の情報通信工学科を統合して新しい学部を設立するという話が持ち上がりました。その計画には私も加わっていたのですが紆余曲折を経て標準的な情報系の学部のデザインになりました。コンピュータ科学科の教員は新学部に参加するか理学部のまま数理科学科に移るかを選ぶことになったのですが,本来の専門である理論計算機科学や圏論をやるのであれば,数理科学科の方がやりやすいだろうと考えて数理科学科に移ることにしました。

2024年度特別研究IIの学生と共に

 数理科学科に移ってからは,コンピュータを用いた実践の比率が大幅に下がり,理論的な内容を教えることが増えました。また学科定員の違いにより特別研究の教員あたりの学生数も少なくなりました。一方で,教職志望の学生の比率がコンピュータ科学科よりはるかに高く,そのサポートも重要な仕事になりました。その後も理学部では万有館への移転,宇宙物理・気象学科の新設など大きな変化がありました。この辺りについても色々記しておきたいところですが字数も尽きましたので,最後に今までお世話になった京都産業大学の学生教職員の皆様に感謝を述べておきたいと思います。どうもありがとうございました。