京都産業大学同窓会

恩師随想

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新たな始まりから愛しいお別れへ

(※2024年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
ギリス フルタカ アマンダ ジョアン 教授
外国語学部教授 英語教育・英語圏文化論

 私が京都産業大学へやって来たのは、人生の大きな節目の頃でした。キャリアの最初の11年間をフランス、ポルトガル、中国そしてブラジルで過ごした後、1988年に来日した私は3年のうちに京都の街と夫と恋に落ちました。そして3人の息子たちが次々と生まれます。一人目の子を授かったのは英米語課で専任講師として勤め始めた年のことで、その夏に出産しました。それからの子育ての日々、私のゼミの学生たちは、家族の一員となって、私が会議で遅くなる時に研究室でベイビーシッターをしてくれたり、さらには息子たちの成長に合わせて自宅で見守ってくれたりしました。みんなで自宅や近所の野山でいっぱい楽しい時を過ごして、彼らとは長く続く友情が育まれました。

 息子たちはもう今のゼミ学生たちよりずっと年上です。でも友情を温めながら彼らのキャリアに触れるのは、いつでも大いなる喜びです。個々に食事をしたりもしますし、時には教育関連の学会で出会うこともあります。何年にも渡ってゼミの学生や留学生たちを京都周辺の山々に案内して来ましたが、新鮮な空気や山歩き、素晴らしい眺めなどを共に味わうのは、仲を深める最高の方法だと思います。

 大学生活での私の大切な一部はESSの顧問役でありました。恥ずかしそうな一年生が、やがて頼れるリーダーへと成長する様子を何代にも渡って目の当たりにすることができたのはこの上ない喜びです。その活動は劇の上演とディベートから、観光客へのガイドやスピーチコンテスト、そして会話技術へと変わっていきましたが、現役学生の熱い情熱と卒業したOBやOGからの力添えは今も同じです。引退してからも関わり続けたいと願っています。

 産業大学で働いたおかげで、英国で1年間サバティカル休暇を過ごしたり、海外や国内で様々な学会に参加でき、自分自身の学びを深める機会を得られたことには本当に感謝するしかありません。音楽やメディアを通じて英語圏の文化を紹介したり、英語を読む楽しみを伝えるのに、研究成果を転じた自作の教材を使う自由があったことも嬉しく思います。

 もう毎日自転車で大学へ通わなくなるのだと思うと、惜しむことがたくさんあります。キャンパスからの京都の美しい眺め、お昼休みの校内での学生たちのエネルギッシュなパフォーマンス、オフィスの皆さんからの挨拶や心優しいご支援、専任/非常勤を問わず醸し出された同僚たちとの暖かい職場。

 今でも32年前に非常勤講師として初めて参加した英語学科パーティーのことがありありと思い出されます。(ちなみにこの写真は私の最後のパーティーとなるものです)この長い年月私がこのチームのメンバーであったことは誇りでありますし、これからも京都産業大学がすべての学生、スタッフ、教授陣、古き友人たちが何を置いても温かく迎えられる場であるよう願って止みません。

学生と鞍馬へ山歩き
英語学科パーティー
ESS暗唱コンテスト