京都産業大学同窓会

恩師随想

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恩師随想
学部別

時々でいいから 思い出してください

(※2022年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
水口 充 教授
情報理工学部教授 ヒューマンコンピュータインタラクション

 難儀な仕事を請け負ってしまった。話が来た時に「私なんかまだペーペーですよ、他にもっと適任の方がいらっしゃるでしょうに」と軽く挨拶してみたところ「いえ、順番でして」と言われた。考えてみれば本学に着任して十四年余りで長くも短くもない頃合いである。何事も経験だから、と思いお引き受けさせて頂いた次第である。

 で、何を書けばいいの?と考え始めていたら「過年度分は同窓会ホームページに掲載しています」と教えて頂いた。何事も先人に学ぶのが手っ取り早い。なるほど、皆さん色々な視点でエッセイしてらっしゃるようで、何を書いても許される気がしてきて少しは楽になった。なお、面白い文章ばかりなので、本稿を読まれている奇特な方は今すぐに止めて、過年度分の恩師随想を読まれることを強くお薦めする。

 とは言え、こちとら文才など欠片も無い。科学技術論文は無味乾燥な言葉を連ねるのを佳しとするものであるし、プログラムも言語ではあるが至極論理的。そこでまず、読んで為になるとか面白いとかは早速諦めることにした。全米が涙を流す感動巨編とか狙うべくもなく、チャレンジはまず少し手を延ばせば届くくらいでよい。

 さて、書き始めてみると筆、いや、キーが止まる。論文や研究計画書を書いているとツイートが爆増するのだが(私に限らず研究者仲間の皆さんもそうらしい)、本稿の場合はツイートしたいとも思わないのが斬新な体験である。論文などの場合はスタックした思考から頭を切り替えようとする、要するに逃避行動であるが、エッセイとツイートでは思考パタンが被っているのだろう。因みにツイートが急に増えた時は、断じて、決して、神に誓ってサボっているのではないので「ああ、原稿書いてはるのね」と見逃して欲しい。

 そもそも私は恩師と呼んでもらえる存在なのだろうか。何かを教えると言えばまず授業であるが、週に一回話を聞いたくらいの関係で師なんて思ってくれる人はSSR級の超レアであろう。少し関わりが深いとなると卒業研究や各種活動で知り合った学生だろうか。こういった場では何かを教えたという記憶はなく、様々なやり方をアドバイスして背中をそっと押したくらいである。

 それでも卒業生が結婚式に呼んでくれたり、大学に寄ったからと顔を見せてくれたり、そんな大層なことでなくても、SNSで時折会話してもらえていて有り難い。私自身の経験でも、恩師から学んだ大切なことは学問ではなく、様々な考え方や立ち振る舞いなどである。今時「背中を見て学べ」というのも流行らないそうだし、俺の生き様桶狭間なんてほど大層な生き方をしているわけでもないが、些細な事でも感じ取ってくれていれば教員冥利というものだろう。

卒業アルバムの研究室写真より

 と色々書いてみたところで、私の高校時代の恩師の「街で出会ったときに挨拶してもらえないようでは教師失格」という言葉が思い出されてきた。恩師なんて大層に思ってもらえなくても「ちわーっす」くらい言ってもらえると嬉しい。が、私は元来の鳥頭に加えて耄碌もし始めているので、皆さんが挨拶してくれてもほげ〜っと狼狽してしまうかもしれないのでその場合はお許し願いたい。