ふりかえってみると京都産業大学に就職して30数年が経ちました。実際のところ夢の如しという感じです。フランスの大学で専ら日本文学に興味を持つようになり、1年間東京の大学に留学生として初めて日本に来ました。関西に住んでいた仏文学の先生を訪ねたお陰で日本の文化は奈良、京都、大阪といった関西により濃く残っているのだと気づきました。有名な寺や神社や美術館を見学することは大事ですが、それよりも自分にとっては異文化をさらに理解しようと思うと毎日の生活が欠かせないものだと思いました。振る舞いや間の取り方など様々な点で自分が馴れている世界とは大きく異なります。例えば関西にしばらく住んでいると、会話をしながら相手がなんとなくニコニコしていることは大概特別な気持ちが隠れているわけでもなく、愛想のよさだと分かります。今頃の流行り言葉でいうと「おもてなし」です。逆に落語に出てくる「うちのぶぶ漬けをどうぞ」のような誘いなら、笑顔で誘われても断るべきです。要するに、国により異なるコードを十分に理解し、なるべく的確に読み取れるようになればよいのですが…。
元々は日本で得たわずかな経験を基礎にしてなるべく研究を深めフランスに帰って大学で就職できればと思っていましたが、ある日、「大学で講師をやらないか」というお招きのお話がありました。当時は23歳で教える仕事はほぼ初体験で驚きの連続でした。学生の質問は大概これまではいちども考えたことのない、即答できるようなものではありませんでした。一つの例を挙げると「なんとなく」はどういうふうにフランス語に訳せますか?突然聞かれると戸惑いますが、そのチャレンジには十分スリルがありました。
結局異文化の言葉に魅了され、 フランスと日本の間を行き来しているうちに4、5年経ってから又大学でフランス語を教えることになりました。以前考えていた計画と正反対でしたが日本の言葉と文化と末長く触れ合う唯一のチャンスでした。
京都産業大学に就職してから、なるべく学生の立場を頭に浮かべながら言葉を生き物として扱う事にしました。仏文化とことばの世界を外から見て、どこが理解しにくいかを探して説明するようにしました。その見方を応用した教科書は見つからないので、自分でプリントを作成し配ることにしました。うまくいかない場合、責められるのは自分だけですから責任感がもしかしたら少し強くなったかもしれません(?) 初心者に対しては一人称を使ってもらって自分の環境、生活、趣味などある程度表現できるようにしました。面白いことに初心者向けの授業で、毎年少しずつテキストを変えたりすると自分でも本当に新鮮な感じです。学生たちがフランス語特有の時制である半過去を使って自分の子供時代の思い出を色々と語ってくれるのを見るのも楽しいことです。新しいパターンに気づき、学生がそれなりに使いこなせるようになっていくのを見るのは嬉しいことですね!
ゼミには10年前からフランス映画をテーマにして、話し言葉と同時に心理を学生に説明します。やはり日仏のことばと心理が違うのでどうしても説明が必要になります。そうすれば留学したり旅行した折に少しでもそれが参考になればいいのですが… また、参加する学生との忘年会も良い思い出となりました。
たまに留学生も授業に参加してくれて、一層賑やかになります。
年を経ても学生たちの異文化や外国語に対する魅力は存在し続けているようです。
外国語学部末永く!