京都産業大学同窓会

恩師随想

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学部別

平成30年間をふりかえって

(※2019年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
中田 博 教授
生命科学部 腫瘍免疫学、糖鎖生物学

 私は、平成とともに本学での教育研究をスタートしましたが、30年余りが経過し、定年を前に様々な思いが交錯しています。現在、高校の教師をしているTさんとは運命的な出会いでした。ことは、本学入試センター(現:入学センター)で雇用されていた元滋賀県教育長の鈴木先生との交流に始まりました。高校側から入試業務以外のことも質問されるとのことで、よく相談をもちかけられました。この延長で、 私が何校かで理科の授業を行うことになりました。規定の授業のひとこまを担当するので、志望大学などとは無関係に受講してくれました。ある年の本学入学式の際、挨拶にきた見知らぬ女子学生が、Tさんでした。“彼女の母校での私の授業に興味を持ち、本学を受験しました。4年間よろしくお願いします”という挨拶でした。彼女は学部卒業後、 即、教員に採用され、その後、本学の同級生と結婚し、 公私ともに幸せな人生を送っています。私にとって、教師冥利につきる話です。蛇足ながら、この様な出前講義は大学当局には認められていないのですが、組織化すれば、受験生獲得に大きな力となるはずです。
 教育研究に関してですが、教育研究にマニュアルはなく、教育研究のあり方は教員にとって、永遠の課題です。私のゼミ生ではありませんが、現在、某国立大学の教員をしているM君とO指導教員とのやりとりは印象深く覚えています。M君の学部成績は必ずしも優秀とは言い難く、 大学院の入試にも失敗しました。M君は次回の入試を受けるまでの間、O先生の要請で某大学の先生のもとで遺伝子操作を学んでくることになりました。その間のM君の頑張りは当研究室の第三者からしばしば耳にしました。 O先生は学生の教育研究に極めて熱心でしたが、そのことを物語るエピソードがあります。定年近い年の正月あけに先生は肺炎にかかり、入院を余儀なくされました。 それでも、先生は無断で病院を抜け出し、最後の15回目の講義もされたそうです。当時、多くの先生が期間外試験として15回目は試験に当てるのが常でしたので学生の目にはどのように映ったのでしょうか。M君もO先生の熱心さに引き込まれたのでしょう、博士課程まで進み、学位を取得しました。さて、就職ですが、なんと浪人時代にお世話になったかつての某国立大の先生の研究室の助手として採用されました。何事も誠実に取り組めば、誰かが評価してくれることを目のあたりにしました。M君の今後の活躍を大いに期待しているところです。一方、O先生からは教育が小手先の技術ではなく、お互いに目的意識を共有し、 自らも情熱をもって邁進する姿勢を貫くことの大切さを身にしみて感じました。

中田研究室のメンバー(2018年度)

 私のゼミでもおよそ180名が巣だっていきました。その内40名近くが大学院修士課程に進学し、さらに博士の学位取得者は他大学出身者も含めれば9名となりました。 彼らとの共同研究が研究の進展に大いに貢献し、共同執筆の英語論文は100編近くになりました。学生の皆さんと苦楽をともにしてきたことは良き思い出であり、かつ私の財産となりました。今後は同窓生の皆様のご活躍を楽しみにしております。