京都産業大学同窓会

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学部別

1985年卒業生との関わりについて

(※2019年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
青木 正博 教授
外国語学部 ロシア語学

 私が本学で30数年教えてきて一番印象に残っている学年は、私が初めて本学で教えるようになったときの2年次生です。本学で教えるようになって30年以上たった今では1年1年が早く過ぎていきますが、そのころはすべてが初めて経験することなので、一つ一つのことがゆっくり過ぎていき印象に残っています。
 私が本学で教えはじめたのは1982年4月からです。2年次生の教室には1クラス30名以上の学生がいましたので、学生の勢いに圧倒されながら授業を行っていました。そのころ私は岩倉に住んでいましたが、自宅にときどきこの学年の学生が尋ねて来ました。10名近くの学生が尋ねてきて夜遅くまで語り合ったこともありました。卒業のときは数人の学生と武田尾温泉に1泊の旅行をしました。謝恩会は嵐山で盛大に行われました。
 この学年の卒業生の集まりには3回ほど参加したことがあります。1回目は卒業して間もないころ、小林先生、柴田先生、私と10名ぐらいの卒業生が同窓会館に集まりました。2回目は柴田先生の退職を祝ってロシア料理のレストラン「キエフ」で開かれた会です。10数名の卒業生が集まりました。みなさん、卒業してから30年近く経っており、それぞれ社会に出て活躍していました。ご子息・ご息女を大学に通わせたりしていて、1世代の時間が過ぎたことを痛感しました。また一方では、みなさんそれぞれ学生時代の面影を濃く残していて、変わっていないなとも感じました。 3回目は柴田先生の喜寿をお祝いする会です。この学年の卒業生は10名集まりましたが、この学年より以前に卒業した3つの学年の卒業生を含め総勢27名の盛大な会となりました。参加者一人一人が順番に学生時代の思い出や近況について話しました。この会の様子は、ロシア語専攻のホームページのニュースの欄に2017年4月29日付けで掲載されています。このように、3回の集まりに毎回10名前後の卒業生が集まったのは、この学年の卒業生同士の結びつきの強さを示していると思います。
 この学年の卒業生とは、個人的にも関わることがありました。私が神戸の大学に非常勤講師に行っているとき、 U君が授業の終わるときに待っていて、神戸で話をしたことが何回かありました。N君は画家であり、招待されて宝塚で開かれた個展を2回訪れました。ロシア関係の旅行社に勤めていたMさんには、私が本学から在外研究員として1年間モスクワに派遣されたとき、旅行の手はずを整えていただきました。新聞社に勤めているM君が本学を訪れたときには、仕事の苦労話を伺いました。
 私は30年以上本学に勤めていますが、この学年ほど卒業生と関わっている学年はありません。おそらく、学生と私の間に年齢差が少なく兄弟みたいな感じだったからかも知れません。このような卒業生との結びつきを大切にして今後生きていきたいと思います。

レストラン「キエフ」にて
1985年卒業生