これからは一年一年・一投一投が勝負。
新人に負けず、自分の力を試したい。
――平野選手は2018年から3年間、MLB(メジャー・リーグ・ベースボール)で活躍されていました。移籍を決意したときは、どのような気持ちでしたか?
初めてオファーをいただいたときは、いろいろあってお断りをしたんです。もう一度声をかけてもらえるとは思っていませんでしたが、2017年にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選ばれて、初めてアメリカで投げたことで考えが変わりました。海外のマウンドやボールを体感して、外国人選手にも対応できることがわかって、視野が広がったんです。
そのWBCの試合を見てもらえたのか、2017年にMLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックスからオファーをいただいて。自分のプレーを見て声をかけてくれる球団があるということがうれしかったのと、もう一度アメリカで投げてみたい思いがあったので、挑戦することにしました。
――MLBで苦労したことはありましたか?
日本のほうが、自分のやりたいようにやらせてもらえるというのはありましたね。アメリカでは言葉の問題が大きかったです。間に通訳を挟むと、自分の意思を伝えるのが難しくて。僕がもう少し英語が堪能で、通訳なしでもチームメイトとコミュニケーションを取ることができれば、もっと違う世界が広がったんじゃないかと思います。
日本に帰ってきてからはチームメイトとよく話すのですが、やっぱり楽しいですね。
――不自由もある環境のなかで、どのようにモチベーションを保っていたのでしょうか?
チームでもプライベートでも、周りの方に恵まれたのが大きかったと思います。子どもたちの友達のご家族も仲良くしてくださって、すごく助けられました。アメリカでも日本でも、縁には感謝するばかりです。
あとは特別なことをしていたわけではないのですが、自分の軸をブレさせなかったというのは大きいかもしれません。「今日はこの練習をしよう」「今日はしっかり休息しよう」といったシンプルなことも含め、シーズンを通して自分の考えを貫き続けたのが結果的にはよかったですね。野球に限らず、やりたいことを貫いていれば、周りの方が認めて助けてくれるのではないかと思います。
――2021年にオリックス・バファローズへ復帰したときは、どのような気持ちだったのでしょうか?
日本でもアメリカでも野球をするという点では同じなので、MLBでやっていたからといって、自分が何か変わったとは思っていません。「戻ってきた」というよりも「またチャレンジしたい」という気持ちですね。日本のレベルも高いので、甘えた考えでは通用しないと思います。オファーに応えられるように、力を尽くすつもりです。
――2月に合流したキャンプではカーブの精度向上に重点を置いていたそうですが、何か心境の変化があったのでしょうか?
やっぱりストレートの力や変化球のキレは年々落ちてきているので、ここ1・2年はそれをカバーするためにもスライダーとカーブを自分のものにしたいと考えていました。今年は思い切って試合で使っていますが、まだまだ軸にはなっていなくて、比較的余裕のある場面でしか使えていません。これからさらに精度を上げていくつもりです。
――過去のインタビューでは「一試合でも多く投げたい」とおっしゃっていました。
チームが勝つのがいちばん大切なので、自分が投げなかった試合であっても、勝ったときにはうれしいです。ただ自分がシーズン中一試合も投げていないのに優勝したとしたら、果たして喜べるかどうか。うれしい反面、すごく悔しいと思うんですよね。選手はみんなそうだと思いますが、やっぱり自分が試合に出て、投げて、優勝したい。野球はチームスポーツではありますが、個人の種目という面もあると思います。
――プロ16年目を迎えた今、どのような目標を抱いていますか?
1年1年が勝負だと思っています。下からは若くて実力のある選手がどんどん入ってくるので、彼らに負けないように、自分の力を試していきたいですね。いい結果を出せれば残ることができるし、出せなければそれまで。そのくらいの緊張感をもって投げていきたいです。
――大学時代のお話も聞かせてください。京都産業大学への入学のきっかけは?
高校時代に、京都産業大学の勝村法彦監督が僕のことをたいへん評価してくださって、「ぜひ来てくれ」と声をかけていただいたのがきっかけです。どんな大学かわからないまま入学したんですが(笑)、監督とチームメイトとの出会いは大きかったですね。今でもみんな仲が良くて、応援もしてもらっています。
練習環境も充実していたので、4年間思う存分野球に打ち込むことができました。
――今年の3月には、日米通算700試合登板を達成されました。第一線で活躍し続けられる身体の強さは大学時代に培われたところもあるのでしょうか?
そうですね、大学では自分の身体を知るということを重点的に行なっていて、それが基本として残っている部分は大きいです。トレーニングをするうえで僕がとくに心がけているのは、好不調の波をなくすこと。それは大学時代から今でも変わらず続けていることなので、やはり有意義な4年間でした。
プロ野球の世界ではさらに環境が充実していますし、トレーニング方法やサプリメントも時代とともにますます進化しています。体づくりについて自分よりもはるかに豊富な知識をもつ方もたくさんいらっしゃって、これまでも多くのことを教えていただきました。そうした環境のなかで、妥協せずに続けていくことが大切だと思っています。
――京都産業大学の硬式野球部では「文武両道」がモットーとして掲げられています。練習や試合で忙しい毎日のなか、勉強との両立は大変ではありませんでしたか?
確かに、野球だけやっていればいいというわけではありませんでした。勝村監督も「しっかり単位を取らないとリーグには出られないぞ」とおっしゃっていて、僕もそれに納得してやっていた記憶があります。勉強は得意なほうではありませんでしたが、授業にはきちんと出て、野球をする体力は温存しつつ(笑)、文武両道を実行しようとしていました。その甲斐あって、ちゃんと卒業できてよかったです。
――学生時代を振り返って、とくに印象に残っていることはありますか?
休日も含め毎日野球ばかりしていたので、大学行事にはほとんど参加できませんでした。練習が終わってちょっとだけ学園祭に参加できたときは、すごく楽しかったですね。
ただそうはいっても、高校時代より大学のほうが自由でした。授業も自分の興味にしたがって選べますし。自分の考えのもと、自分の思考をどんどん広げていくことができる、とてもいい場所でした。
――今でもオフシーズンには、本学の野球部の練習を見に来てくださっていますよね。平野選手にとって、京都はどのような場所なのでしょうか?
一言でいえばスタートライン。毎年1月は、必ず京都での自主トレから始めています。ほかの場所を考えたこともありましたが、やっぱり新しいスタートは京都で切りたい。これからも変えることはないと思います。
――最後に、同窓生に向けてメッセージをお願いします。
いつも応援していただきありがとうございます。僕が投げることをよろこんでくださる方がいるからこそ、まだまだがんばろうという気持ちになれます。大学で身につけたことをプロの世界でもできるように、これからも優勝をめざしてがんばっていきますので、あたたかく応援していただけたらうれしいです。