自分を信じて努力を続けることで
人生は切り拓いていける。
――京都産業大学に入学されたきっかけは?
実家が上賀茂にあり、子どもの頃から京産大は“庭”の一部。神山ホールに映画を観に来たり、神山祭に遊びに来たりと身近な存在でした。ですから自然な流れで受験し入学しましたね。
――どんな大学生活でしたか?
経営学部の授業やゼミで仲よくなった仲間と毎日学校で語り合うのがとにかく楽しかったですね。今でも、しょっちゅう会っていますよ。大学時代の友だちは何の利害関係もなく遊べた最後の貴重な関係。 “一生もの”の大事な存在です。
――在学中に描かれていた将来のビジョンとは?
もともとパソコンが好きで、高校1年で初めてインターネットを接続した時は感動しました。上賀茂の自宅から世界とつながれる。「何これ!すごい!」と興奮しましたね。同時に、「自分の力が発揮できそうだ!」と可能性を感じた瞬間でもありました。高校時代に自分たちのバンドのホームページを制作。大学時代には、開設した情報サイトが好評でアフィリエイトで毎月収入を得ていました。卒業後もインターネットの世界で誰かの役に立ち、対価を得ていきたい。起業して「新しい価値のあるインターネットサービスをつくること」にチャレンジし続けたいと考えるようになりました。
――卒業後は楽天に就職。2年後の退職の際、迷いはなかったですか?
成長を遂げている大きな企業で営業や経営の修行をしながら、優秀なエンジニアを探そうと就職しました。配属は開発だったのですが、システムの構築・運用を通して多くのことを学び、経営に役立つシステムの調達、交渉、契約なども経験できました。何年いても学ぶことは尽きなかったと思いますが、若いうちに起業し、自分の力を試したいという気持ちが強かったですね。
――そして、キラメックスを起業されました。
25歳で起業して半年後、アメリカのグルーポンの急成長を知り、日本流にアレンジした共同購入型クーポン「KAUPON」のサービスを自ら開発・リリースしました。最初の2時間で50万円分のクーポンが完売。1カ月後に米国グルーポンからの買収オファー、5カ月後には2億円調達と急展開で成長しました。しかし、大手参入によって資金力合戦となる中で、最終的には事業を譲渡し撤退することを決意しました。
――その後、オンラインのプログラミング教育事業「TechAcademy」を立ち上げられたんですね。
当時のオフィスで自分が講師を務めるリアルのプログラミング教室から始め、2012年にTech Academyという名前でプログラミングスクールを開始しました。社会人向け・初心者向けの「教養としてのIT」というコンセプトが好評を得て順調に成長。その後、オンラインブートキャンプという形でインターネットサービスに進化させ、2015年、事業をさらに成長させるうえで資金と優秀な人材が必要だと考えていた時に、M&Aのオファーを受け、ユナイテッドグループ入りを決断しました。
――その約2年後にキラメックスの代表を退任し、2018年にメルカリCMO(最高マーケティング責任者)に着任されたわけですね。
受講生数は飛躍的に伸び、約500社の企業に導入いただくようになっていました。「スキルを身につけ人生を変えることができた」という声も多く聞き、新しい価値を生み出せたことを実感。次の世代に経営をバトンタッチすることを決めました。メルカリは日本発のインターネットサービスの中で、グローバル展開において高いポテンシャルがありチャレンジも積極的に行っています。その過程を内側から見てみたいという気持ちがありました。また、やっぱり僕はクリエイティブなことがすごく好きなんですね。一から創り出して人に喜んでもらいたい。CMOとして、様々な施策の中でクリエイティブなチャレンジができるんじゃないか。その点にも大いに魅力を感じ、メルカリへの参加を決めました。
――最後に学生、同窓生へのメッセージをお願いします。
大学は学問の場であるとともに、熱中できることを見つけるためのフィールドでもあります。京産大には伝統的に自由の気風があり、チャレンジする気概を持つ仲間が集まっています。自分の可能性を信じて得意なことを磨き、知恵を絞り、チャレンジを積み重ねることで、運命は切り拓いていけます。みなさんの健闘を祈っています!