
応援してくれるたくさんの仲間ができたことは感謝してもしきれません。
――野球を始められたきっかけは何だったのですか?
小学生の頃、休み時間にスポンジでできたおもちゃのボールとプラスチックのバットを使ってよく遊んでいたんです。投げたり、打ったりすることが楽しくて。小学3年生の冬、友人たちと本格的に野球を始めようという話になり、両親に相談しました。一度は断られてしまったのですが、「本気でやり切るならいいよ」と言ってもらい、自分なりに考え、改めて「やりたいです」とお願いをして野球を始めることになりました。
――チームメートから「教授」と呼ばれるほど研究熱心で知識豊富な北山投手ですが、学び始めたきっかけは何だったのでしょうか?
高校1年生の冬に、投球フォームをより良いものにしようと着手し始めました。ただ、当時は知識もなく、身体も準備ができていない状態。そのような状態で元々あった自分のリズムやフォームが上手くいかなくなり、約1年まともに活躍できなくなってしまったんです。そこから抜け出すため、毎日自分の身体をチェックして、本来の状態に近づくよう調整するようになりました。それと同時に、筋肉の名前を覚えてみたり、ストレッチの仕方や効果を調べてみたり。経験と知識を繋ぎ合わせるような作業をしていく中で、段々と自分なりの答えができてきたんです。そのうちに状態も改善され、実力もついてきました。野球以外の知識にも興味を持ち始めたのは、その出来事がきっかけだったかなと思います。
――なぜ京都産業大学を選ばれたのでしょうか?
平野佳寿さん(京都産業大学OB・現オリックス・バファローズ)の存在が大きかったです。僕は高校3年間、野球も勉強も隙なくやり切りましたが、卒業時にプロになるという夢は叶いませんでした。大学4年間でより成長するためには、尊敬する平野さんを育てられた勝村法彦監督のもとで、しっかり力を付けたいと考えました。京都産業大学は寮も練習環境も充実していますし、地元である京都で野球ができることも、とても良い環境だなと感じましたね。

――どのような大学生活を送っていましたか?
自分としては、野球も勉強も一切手を抜かずにやっていました。みんなで遊びに行ったり、お酒を飲みに行ったりといった大学生らしいことは片手で数えるくらいしかしなかったです。もちろん、そういった時間は楽しいのですが、それ以上に充実したものを野球の中に感じていました。「プロになりたい」という気持ちを一番に、自分と向き合って過ごした4年間でした。
――大学時代、特に印象的だった出来事はありますか?

本格的に戦力として投げさせてもらい始めた1年生の秋の関西地区大学野球選手権大会で、僕がサヨナラホームランを打たれて負けた試合があったんです。後から、平野さんも同じ球場、同じような状況で、同じ打たれ方をしたと聞き、勝手ながら縁のようなものを感じました。このことを大きく成長するためのきっかけにしようと捉えて頑張っていましたね。
――勝村監督を始め、コーチやチームメートとの出会いも、北山投手にとって学びや影響があったのでしょうか?
本気で野球に打ち込み、毎日自分と向き合って過ごした中での出会いでは、深いところまで話をして分かり合えた部分がありました。ただ出会って、一緒に野球をやっただけでは得られない人間関係が築けたと思います。
野球以外の出会いもそうですね。京都産業大学はキャンパスが1箇所に集中しているので、すごく活気があり、雰囲気が良いんです。自分の学部以外の人たちとも交流ができるので、僕の試合をチェックしたり、試合を観にきてくれるような友人もできました。そういった繋がりができたのは、京都産業大学のキャンパスならではだと思います。勝村監督を始め、色んな人たちに支えられましたし、応援してくれるたくさんの仲間ができたことは感謝してもしきれません。

――大学時代の経験で、今に活きていることはあるのでしょうか?
中学生の頃から、自分で何をするのかを決め、やり切ってきました。コツコツと取り組み続ける習慣や、苦しいときに打ち勝つ心の強さが身に付いたと思います。そういった下積みをもとに、大学4年間で培った自分の軸や経験があるので、ブレずにプロの世界で戦えていると思います。

――最後に、同窓生の皆さんへメッセージをお願いします。
皆さん、本山キャンパスでの思い出がたくさんあると思います。僕も同じ景色、同じ環境で、社会に出るまでの青春時代を過ごした1人として、野球の世界でしっかり頑張っていきたいと思っています。その姿を見ていただくことで、少しでも勇気づけられる方がいらっしゃるのであれば、これ以上ない幸せです。