工夫して、面白くしようって考える癖は、やっぱり学生時代に作られたかな。
――京都に「日本ワイン たすく」を開店されるまでは、どんなことをされていたのですか?
――山梨で池西さんはどんなことをされていたのですか?
「おいしい学校」で働き始めて2年ほどたったころに、施設内のカウンタースペースで地元産の野菜を使った料理の提供と接客を担当。当時は日本ワインとの接点はさほどなかったのですが、これがカウンター商売を始める原点になりました。
「おいしい学校」では同僚と学校給食風のランチメニューを企画して、先割れスプーンやアルマイトの食器を調達したり、懐かしい給食風のカレーや揚げパンをお出ししていました。この給食風ランチは今も「おいしい学校」で人気だそうです。こちらで4年ほど働き、そろそろお店を開くため京都に戻ろうという気持ちになったのですがー。
――京都でどんなお店を始めるつもりだったのですか?
店を始めたいと両親に話したとき、どんな店をするつもりかと父に聞かれました。そのとき私が話したのは「山の中で、カフェで……」と、かなり具体性に欠けたもの。父にはズバリ「お前のやりたいことって山梨にあるんちゃう?」と指摘されました。確かに山梨で働いてはいましたが、当時の私は山梨のことをあまりよく知らなかったのです。自分の店のイメージを確立するためにも、もっと山梨を知りたいと、山梨での暮らしを延長しました。
――運命の日本ワインには、どのようにして出会ったのでしょうか。
おいしい学校の次に山梨で勤めたゴルフクラブには、珍しくワインセラーがありました。東京の帝国ホテルでシニアソムリエだった方も働いており、山梨県産ワインを広めたいとワイン会も開催されていました。そのころの私の認識で、日本ワインは「お土産用の甘口ワイン」。好みじゃないと思いこんでいました。ところが甲州というブドウを使った山梨県産ワインを飲んだときに、はっとしたのです。辛口で味わいがすっきりしていて、なんて家庭料理に合うのだろう、と。イタリアワインにイタリア料理、フランスワインにフランス料理が合うように、日本ワインには日本のおかずが合いそうだ、とも気づきました。周囲もコップ酒感覚で一升瓶ワインを飲んでおり、山梨でワインはとても身近な存在なのだと知りました。
ワイン会のお手伝いをさせていただくうちに、生産者さんに挨拶できる機会も増え生産者さんに会いに行き始めたのも、このころです。実際に会うと、ワインづくりへの情熱に圧倒される思いでしたが、ますます日本ワインに親近感を覚えるようになりました。
――大学時代はどんな学生さんだったのでしょう?
――いまお店で一番こだわっていることはどんなことですか?
「たすく」を始めたころ150ほどだった国内のワイナリーも、いまでは500近くまで増えています。いまも産地に行ったり生産者の方に会ったりしたワイナリーのワインを紹介していますが、追いつくのが大変な状況です。
店で出す料理もワインに合わせて日々変えますが、一皿で洋食も和食も楽しめるものを出したいと思っています。料理の勉強もしましたが、結局、原点は母の手料理。ワインと合わせておいしい、家庭的な味わいを大切にしたいと思っています。
――最後に、卒業された方に向けてメッセージをお願いします。
ときに「自分には無理」と言って、夢や希望があるのにそれを封印してしまう方に出会うと、一度きりの人生なのにもったいないなぁと感じます。わたしにはやりたいことがたくさんあって、恐らく一度の人生では足りない?と思うほど。この先どうしてもやりたいことは、できる環境とタイミングを捉えて実現したいです。店に立つと1年も5年も本当にアッという間。人の一生って思いのほか早いのではないでしょうか。