京都産業大学同窓会

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逆境に負けないバイタリティを育んだ。
京都産業大学の卒業生であることが誇り。

(※2017年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
奥村 洋史さん(1989年 経済学部卒業)
1962年生まれ。株式会社菊水代表取締役。外資系大手ファストフードチェーンを経て、1995年株式会社菊水入社。京都調理師専門学校上級調理師科卒業。ふぐ処理師(京都府)、ソムリエ(日本ソムリエ協会認定)。
京都を代表する洋食の老舗を守って101年

 国際観光都市・京都の中でもひと際多くの観光客が行き交う四条大橋のたもとに、歴史を感じさせる洋館が建っています。
1926(大正15)年築造のこの館に店を構えるのが、京都を代表する洋食の老舗「レストラン菊水」です。創業者の奥村小次郎氏が「ハイカラな西洋館でおいしい西洋料理を食べてもらい、お客様を感動させたい」と、1916(大正5)年、家業の瓦せんべい屋から洋食店に鞍替えしたのが、「レストラン菊水」の始まりでした。
 「お客さまのご愛顧を受け、おかげさまで創業から101年を数えるまでになりました」と語るのは、京都産業大学のOBである四代目・奥村洋史さん。オリジナルの一人用銅鍋に入ったビーフシチューをはじめ、長年変わらない味を守り続ける一方で、洋食では珍しいフグを使ったフルコースを提供するなど、斬新なメニューを考案しては多くの食通を驚かせています。「ハイカラ好きで新しもん好きだった創業者の気概を尊び、いつの時代も新しいことに挑戦していたいと思っています」と奥村さん。その姿勢が今日の「レストラン菊水」を築き上げました。
 もちろん良い時ばかりではありませんでした。「経営が厳しい」と聞かされ、奥村さんが勤めていた大手外食チェーンを辞めて実家に戻ったのは33歳の時。「そこで初めて3億4千万円もの借金があることを知ったんです。その後の十数年は、それを返すために骨身を削りました」。そう言いながらも朗らかに笑う奥村さん。逆境に負けない強さや明るさの源泉は、学生時代に培われたといいます。
 「実は私は卒業するまでに8年かかっているんです(苦笑い)。1年間の浪人を経て京産大に入学した時は、もう開放感でいっぱい。遊びにアルバイト、ボディビル同好会の活動と、楽しいことばかりで、授業に出た記憶はほとんどありません」と明かしました。結局4年では卒業できず、しかも失恋が重なって、その後1年半も引きこもることに。卒業にはそれからさらに2年かかりましたが、「この時間は決して無駄ではなかった」と振り返ります。
 「学生生活を思う存分楽しんだ一方で、自宅に籠っていた間はたくさんの本を読みました。歴史本からビジネス書まで手当たり次第。読書を通じて自分のことやこれからの人生を深く見つめる時間があったから、その後苦しいことにぶつかっても乗り越えられたのだと思います」

第一線で活躍する同窓生に会うのがうれしい
2年生の時に参加したボディビル同好会の夏合宿(左下の赤い服が奥村さん)
写真は同級生の中村賢司さん(1986年 外国語学部卒業)提供

 借金返済のため、店に残っていた古い体質を見直し、経営を根本から立て直した奥村さんでしたが、本当に変わったのは、その後だったといいます。「それまで店を立ち行かせることに精いっぱいで、一緒に働く従業員にまで思いが至っていなかった」と気づいた奥村さん。「原点に戻ろう」と決意し、創業者がどのような思いで店をつくったのかを改めてひも解き、「創業の精神」をまとめました。これを指針として改革を実施。従業員がイキイキと活躍できる職場環境が整い、店は見違えるほど活気を取り戻しました。奥村さん自身も47歳の時に調理師学校に通い、さらにふぐ処理師やソムリエの資格を取得するなど、新しいことに次々と挑戦しています。
 「私だけでなく、チャレンジ精神を持って第一線で活躍する卒業生にお会いすると、自分のことのようにうれしいですね。途中で辞めずに卒業して本当に良かった。京都産業大学のOBであることは、私にとって誇りです」と奥村さん。今では同窓生の集まりが「レストラン菊水」で行われることも少なくないとのこと。そんな同窓の絆を奥村さんは大切にしています。
 「『創業の精神』と共に次世代に店をつないでいくことが、これからの私の務め。『レストラン菊水』だけでなく、京都の洋食店が一つになってよりたくさんの方々に京都に来ていただき、洋食を楽しんでいただけるよう、尽力していきたいと思っています」