京都産業大学同窓会

輝く卒業生

最近の輝く卒業生
輝く卒業生
アーカイブ

こんなにも夢中になれることに出会えた
京都産業大学に感謝しています。

(※2017年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
坂本 朱里さん(2015年 外国語学部卒業)
1991年生まれ。スポーツクライミング選手。
2014年ボルダリング・ジャパンカップ11位。
2016年IFSCクライミング・アジア選手権5位、
IFSC2016ドイツ10位。世界ランキング25位
大学で魅力にハマり、ボルダリング漬けに
坂本 朱里さん

 2016(平成28)年4月に日本で開催された「IFSCクライミング・ワールドカップ加須2016」を皮切りに、中国・インド・オーストリア・アメリカなどで行われたスポーツクライミングのワールドカップ(W杯)シリーズ。大会を転戦する日本代表の中に、2015(平成27)年に京都産業大学を卒業した坂本朱里さんの姿がありました。京都の選手が日本代表に選ばれたのは初の快挙。坂本さんにとっても初めての世界の舞台でしたが、「歯が立たないかなと覚悟していたけれど、意外と戦えるなと思いました」と手ごたえを口にする姿には、頼もしさを感じます。
 坂本さんがボルダリングと出会ったのは、京都産業大学附属高校1年生の時。かわいがってくれたワンダーフォーゲル部の顧問の教諭に「人が足りない」と入部を頼まれ、体育館の片隅にあった教諭手作りの壁を登ったのがきっかけでした。最初は「地味なスポーツだと思った」という坂本さんでしたが、大学に進学後、現在活動の拠点を置くクラックス京都で久しぶりに体験した時、「思った以上に登れて、ハマってしまった」とのこと。「それからは週5、6日、ジムがオープンする午後3時から閉館ギリギリの夜11時まで、夢中で壁を登り続けました」。
 人工壁に取り付けられたホールドと呼ばれる突起をつかみ、いかにトライ回数を少なくゴール地点まで登り切るかを競うボルダリング競技。「最適なルートを見つける頭脳戦でもあります。
思い描いた通りに登れた時は、最高に気持ちいいんです」と、坂本さん。生来の運動神経と握力の強さ、何より練習を苦と思わない情熱で、瞬く間に上達していきました。
 大学時代に出場した数ある大会の中でも忘れられないのは、3回生の時の「第8回ボルダリング・ジャパンカップ」。「2回目の挑戦で、初めて予選を第1位で通過したんです。ところが翌日の準決勝では、急に課題の難易度が上がり、しかも実力者ばかりが揃う雰囲気にのまれてしまい、全然集中できませんでした」。結果は17位。「でもその経験があったから、世界のどんなに大きな大会でも『絶対に飲まれない』と強い気持ちで臨めるようになりました」

大学の友達・教員の応援に支えられた
IFSC WORLD CUP 2016 ミュンヘン大会
準決勝でゴールした瞬間

 ボルダリングに熱中するあまり、大学生活はおろそかにしてしまったと苦笑する坂本さん。「夜11時まで練習した後はクタクタで、翌朝起きられず、なかなか授業に出席できませんでした。結局、卒業に5年かかってしまいました」と振り返ります。そんな坂本さんを支えてくれたのは、母と数多くの友達や教員でした。「本当に『人』に恵まれました。試験前になると友達や先輩がノートを見せてくれたり、ポイントを教えてくれたり、何かと助けてくれました。また先生も『大事な大会前だから』とお願いすると、課題の提出期日を延ばしてくださったりして、ありがたかったですね」。学部や学年を問わず、多くの友人に恵まれたのは、誰からも愛される人柄ゆえ。その交流は現在も続いているといいます。
 「大会に出場した記事が載ったりすると、『見たよ』と連絡をくれたり、大会前に励ましのメールをくれたり、今も応援してくれるのがうれしいです。まだまだ競技としての知名度は低いスポーツなので、多くのOB・OGの方にもぜひ知ってもらいたいですね」
 大学卒業後はクラックス京都でスタッフとして働きながら、1日8時間練習する生活を続けています。2020(平成32)年の東京オリンピックでボルダリングを含むスポーツクライミングが正式種目に採用され、大きな目標ができました。
 「まずは今年9月にドイツ・シュツットガルトで行われる大会で全力を尽くすこと。それから来年の『ジャパンカップ』で上位に食い込んで日本代表に復帰し、オリンピックに向けて世界で戦っていきたい」と3年後を見すえています。