コラム

輝く卒業生

一人で部員を待ち続けたグラウンド、 粘り強くお笑いを続ける今に重なります。

いろんな3文字を試して、「KSD=京都産業大学」が断然ウケが良かったんです。

一番ウケが良かった「KSD」

――M-1グランプリ2025で優勝。決勝のネタに京都産業大学の名前が出て話題になりました。

 アルファベット3文字と、それが何の略かを挙げていくネタで、いろんな3文字の組み合わせを試した結果「KSD=京都産業大学」がめちゃめちゃウケが良かったんです。他の大学の名前でも試してみたんですが、KSDが断然ウケましたね。理由はわからないんですが、「京都」「産業」「大学」という、みんな知っている3つの単語がうまくハマったのかもしれません。芸人仲間からも評判が良かったんですが、僕の母校だということは最初みんなも知らなかったので、「なんで京都産業大学というワードがあそこで出るのか、理由が1個も見えへん」と言われてはいました(笑)。本当の略称は「KSU」だというのは知っていましたが、わかりやすくするために「KSD」を使わせてもらいました。M-1優勝後は、大学の方からお祝いのコメントをもらったり、母校訪問をして卒業生顕彰をいただいたりして、本当にありがたかったです。

――学生時代の思い出はありますか?

 自分で野球サークルを立ち上げたことです。当時、他にも野球サークルはあったんですが、もとからあるサークルに入るのではなくて、自分で“初心者限定”のサークルを一から作りたいと思い、大学に申請しました。もうそのサークルはなくなっていますが、僕の在籍中に部員が30人ぐらい集まる規模にはなりましたね。
経営学部に在籍していて、当時准教授をしていらした大室悦賀先生(現・長野県立大学教授)のゼミに入っていました。有名なアウトドアブランドの東京本社に行って、社員の皆さんの前でプレゼンをしたことを覚えています。

自分の力で、粘り強くやり続ける

――赤木さんは大学生の頃から芸人を目指していたのでしょうか?

 最初から芸人を目指していたわけではなかったです。当時アルバイトをしていたのですが、全然うまくいかなくて、クビになることもありました。そんなこともあって、就職活動が始まる3年生になった頃には「普通に社会人になっても無理やろうな」と思っていたんです。その頃から、お笑いがもともと好きだったこともあり、「芸人やったら“仕事ができない”ということも強みになる」と思って、芸人を目指すようになりました。

――大学時代の経験で、今のお仕事に活かせていると感じることはありますか?

 “自分で作る”というのは活きている気がします。野球サークルを初心者限定にしたのも、野球が好きな人は多いけど、経験者の中に急に初心者の人が入るのは難しいだろうなと思って、自分でコンセプトを決めてチームを作りました。漫才師もチームみたいなところはあるので、当時サークルを立ち上げた経験は活きているのかなと思います。
あとは、“我慢強くやる”というのもサークルで学びましたね。当時、毎週水曜日にグラウンドで練習をすると決めていたんですけど、行っても僕以外誰もいないということが結構あったんです。グラウンドに行って、2時間くらいスマホゲームをしながら一人で待って、誰も来ないまま帰る、というのをしばらく繰り返していました。でも、僕が辞めたら部員がゼロになって廃部になってしまうので、諦めずに毎週足を運んでいるうちに、徐々に部員が集まり出しました。その姿勢が、ネタができないときでも粘り強く考える、売れなくてもとにかくやり続ける、という形で今の仕事に活きているのかもしれないなと思っています。

「M-1優勝」をピークにしたくない

――赤木さんの今後の目標を教えてください。

 漠然とした目標としては、「M-1で優勝した日よりウケる日を作りたい」。あの日をピークにしたくないなという思いがあります。だから、今はとにかく食らいついて、目の前の仕事を頑張ってやるしかないなと思っています。相方のきむら(バンド)さんは、どうなんですかね? きむらさんは、まあ……日々楽しそうなので(笑)。そこまで気負わず、楽しく仕事ができればいいなと思ってると思いますよ。

――最後に、同窓生の皆さんにメッセージをお願いします。

 いろんな方がいらっしゃると思うんですけど、京都産業大学という大自然の中のキャンパスで育まれた大らかさみたいなものを、皆さんきっと持っていると思うんです。大学時代の楽しかった思い出、のんびりした空気感を忘れず、力を入れすぎないでいてほしいと思います。皆さんも仕事や家庭のことなどいろんなものと戦っていると思いますが、僕もまだまだ頑張って戦っていきます。同窓生として肩を組んで、「仲間だぞ」という気持ちで頑張りましょう!