京都産業大学同窓会

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流れのほとりにて

(※2017年9月発行の同窓会報の内容を転載しています)
上野 継義 教授
経営学部 アメリカ経営史
マギスターだのドクトルだの言われて、もうかれこれ十年ばかりも、上へ、下へ、右へ、左へ、おれは学生たちの鼻を引っ張りまわしたが、しかし、けっきょく、何も知ることができないとわかっただけだ。
──ゲーテ『ファウスト』第一部(大山定一訳)
 ファウスト博士のこの台詞は、いまから19年前、経営学部の新任教員として本誌に挨拶文を寄せたときに引用したものです。大学教員が学生のためにしてあげられることは限られている、そんな思いを博士の言葉に託してみました。その思いはいまも変わりません。米国のある実験的な調査によれば、日々の授業の効果についても考えさせられます。すなわち、講義の内容は学生たちの脳裏からまたたくまに消えてゆき、半年もすれば、当該学問領域の知識量は、受講しなかった学生と大差なくなってしまう、と。それだからというわけではありませんが、授業ではものごとを考えるプロセスとそれを文章にすることの大切さを説き、それを実践してもらうプログラムを用意してきました。細かなことは忘れても、ものの考え方の基本線はのちのちまで記憶に残りますし、文章を書く技術は人生をゆたかにしてくれます。卒業生から、ゼミナールで学んだことが実社会で役立っているとの便りがとどくと、内心嬉しく、悪い気はしません。ただし、急いでつけ加えておきたいのですが、学生たちの達成はすべて本人の努力の果実にほかなりません。
 文武両道、これがわたくしのモットーです。学問研究にとって大切なことは、創造力と想像力ですが、それと並んで、読者や聴者に愉しいと思ってもらえる物語を用意するサービス精神、そして、最終的には忍耐力と持久力がものをいいます。つまるところ体力勝負、諦めずにこつこつと歩む胆力が肝心です。というわけで(ここに論理の飛躍があると指摘する鋭い学生もいますが)、ハイキングや山歩きがわがゼミナールの恒例行事です。山行は低山逍遙をもっぱらとしますが、ふだん身体を動かしていない学生には少々堪えるようです。

 お勧めのハイキング・コースは清滝川の散策です。嵐山の竹林をぬけて嵯峨鳥居本へ、かやぶき屋根の茶店の分かれ道から山中にわけいり、冷気ただよう六丁峠を越えると、たちまち視野はひらけ保津峡の清冽な流れが目に飛び込んできます。この急坂の登り降りが難所といえば難所、それを過ぎれば渓流沿いの平坦路。流水は清く、魚影濃く、瀬音がここちよい。途中でお弁当を広げ、上野ゼミ特製葡萄ジュースをいただき、そして神護寺に至る。ここから「お疲れ様」グループは京都市交通局のお力添えをいただき四条烏丸へ、「健脚」グループは峠を登り返して有栖川源流域にはいり、樹林を踏み分けて北嵯峨に抜ける。昨年、全行程を歩き通した学生が公認会計士になりました。上の写真は冬の高雄山神護寺境内、左は春の清滝川支流です。
 これからも学生たちとともに学び、山野を巡り、流れのほとりで歓談したい。ゼミナールの卒業生諸君に、尊敬する登山家ガストン・レビュファの言葉を贈ります。「山がたえず差し出してくれる数限りないよろこびを一つとして拒絶してはならない。何一つしりぞけないこと、何一つ制限しないこと。渇望し、憧憬し、早く登る技術も、ゆっくり歩く術も身につけ、さらに静観もできるようになること。生きることだ!」(『星と嵐』近藤等訳)